わたしが東京さ出はった時の話。

2015年春のこと。わたしは山形県山形市に住み、シングルで2人の子供を育てながら、不動産屋で働いていました。元夫から再婚し子供も授かったとの報告を受け、山形に住み続けていることに違和感を覚えたわたしは、故郷へ戻ることを考えました。とりあえず母に相談したところ、『こちらに帰ってきても仕事がないし、面倒見れないよ』との肩透かしな忠告。一般的には出戻りを歓迎するのではないの笑?などと思いながら、さあ、どうしようかと考えた末に、『一度は東京で働いてみたいし、なんかカッコイイかも』なんて気持ちで“上京”という決意をしました。

育てている子供たちは6歳差。2人が小学校と中学校に進学のタイミングで東京に出ようと決め、引っ越すまでの約1年を準備期間とし、運と縁とタイミングで上京できたのが翌年2016年3月のことになります。約12年間住んでいた山形を離れ、千葉県市川市に引っ越し、都内の会社に転職をしました。

上京しようと決めた春から1年間、何も迷いがなかったわけではありません。山形でひろがったたくさんの知友人とのご縁、山形への未練、転職への不安、新天地での生活への恐怖心・・・いろいろな感情にさいなまれ、何度も山形から離れることを諦めそうになりました。とにかく色々な可能性を探りました。未来はどう考えてもわからなかったので、今だけを見つめることに集中しました。

それでも毎日気持ちが揺らぐので、ひどい耳鳴りに悩まされました。心配になり耳鼻科を受診したところ、『効く薬はないので、耳鳴りを意識しないように過ごしてください(キリッ)』と言われ拍子抜けしたこともありました笑 結局引っ越してしばらくしたら気にならなくなり、ざっくり言うと“変化”というストレスが原因だったのだと思います。

上京と同時に、子供達のダブル入学と自分の転職、慣れない電車通勤、都会での生活・・・引っ越してから1ヶ月は微熱が続き、寝ても寝ても疲れが取れないという状況でしたが、次第にこちらの生活にも慣れ、行動半径や、交友関係もひろがっていきました。

2020年3月で、今の家に引っ越して丸4年となりました。長女はわたしよりも東京のことが詳しくなり、しょっちゅうおでかけ。次女はそろばん塾へ楽しそうに通っています。典型的な核家族で、おまけに母ひとりの我が家のせいか(おかげか?)子供達の自立心は素晴らしいものがあり、力不足な母をいつも助けてくれる優しい子に育ってくれているなぁと感じます。無理させていることも多いとは思いますが…忙しい毎日でも、子供達と向き合う時間だけは大切にしたいと意識しています。

4年経った今でも、山形のことが大好きです。先日念願かなって山形へ泊りがけで遊びに行きました。たくさんの友達や昔の仕事仲間にも会えましたし、懐かしい場所、好きだった食べ物などを堪能して、山形パワーを充填させて帰ってきました。きっとこれからも、山形は心の故郷として大好きだと思います。

蔵王に登って、樹氷を見てきました!
写真に写っていふたりがわたしの子供です。

昨年フリーランスになってからは、都内の繋がりに加え、住んでいる“市川”との繋がりが深まってきました。上京に際して何となく選んだ市川という土地でしたが、今は愛着を持つようになりました。これから先はもっと市川で活躍の場を広めていけたらいいなと・・・しかし、予想もしない事態、変化と順応が求められるこの時に、正解を見つけるのは難しいこともありますが、程よいところを見つけながら、前に進めたらいいなと思います。4月からまた新たな変化も待っているので、落ち着いて取り組んでいきたいです。